A 事業税 (The Enterprise Tax)

 事業税は、都道府県の独立税である。事実税収入は、市町村の事業税付加税という制度によって、普通、都道府県と市町村とに各半額あて分配される。その標準賦課率は都道府県税七・五%、市町村付加税七・五%であって総計十五%である。

 但し、農業、畜産業、林産業および漁業は合計十%の特別税率であり、主食からの所得は免税される。

 このの標準賦課率は、地方税審議会の認可を得て、それぞれ十八%および十二%まで引上げることができる。この十八%および十二%の税率は政令によって包括許可が与えられている。もし、内閣総理大臣が反対しないならばそれよりも高率に引上げることができる。1948-49年度の認可賦課率の統計資料によれば、十五道県は十五%および十%を賦課し、二十九県は十八%および十二%を賦課し、一県は二十二・五%および十八%を課税している。

 地方自治庁の計算によると、1949年度の事業税収入は五百億円であり、うち四百二十億円は第一種事業税によるものであり、八十億円は第二種事業からの収入である。1948-49年度の歳入は二百八十億円と見積もられていたが、実際徴収額に関する最終的の数字は、今回利用できなかった。

 この税の課税対象たる利益は、前年のものである。原則としては — 後に述べるように実際はそうではないが — この課税される利益は、国税たる所得税が課税対象としているものと同じである。
 従って、理論上は、事業税は単なる国税の付加税にすぎないのである。事業税の免税点は、個人事業税について四千八百円であるが、四千八百円を超える場合は所得の全額に課税する。国税たる個人所得税は一万五千円の基礎控除と扶養控除の制度を設けているが、かかる制度は事業税のみとめるところではない。このため事業税は特に多くの家族を有する小営業者にとっては重い負担となるのである。扶養親族四人を抱えた小営業者が十五万円の利益を得たとしよう。彼は十八%、即ち、二万七千円の事業税を支払うわけである。この税がいかに過重なものであるかを理解するには、国税たる所得税と同様の基礎控除と扶養控除が採用されたとした場合において、右の税額を徴するには、どれだけの税率とすべきかということを計算してみればよい。扶養親族四人分は各々千八百円の税額控除とし、基礎控除一万五千円を差引くと、課税所得は十三万五千円となり、七千二百円の扶養親族控除後二万七千円の税を徴収するとすれば政府はこれに二十五%に垂んとする一本税率を適用せねばならなくなるであろう。この場合においては、課税率十八%の事業税は、税率二十五%の国税たる所得税と同様の負担となることになるであろう。

 農民には、法律によりこれに較べると遥かに少額の税が課せられるにすぎない。農民はより低い税率の利益を享けているのみならず、政府の割当に基いて生産した主要食糧の販売による所得には課税されない。

 国税たる所得税を納める義務のない法人は、すべて事業税も免除されているが、慈善およびこれと類似の事業を営む法人でもその収益事業については事業税を課せられる。

地方税法は、事業税の賦課徴収に関する権限を実際上すべて都道府県知事に与えている。たとえば、地方税法第七条および第八条は次のように規定する。

一 事業者が二以上の都道府県に事業所を設けている場合には、課税所得を各事業所に分割しなければならないが、これは主たる事業所の所在地の都道府県知事の決定するところである。この知事は決定を他の都道府県の知事に通知せねばならない。通知を受けた知事は、この決定に同意しないときには、内閣総理大臣に対して異議を申立てることができる。内閣総理大臣の決定は最終的なものである。

二 事業者が同一都道府県内に数個の事業所を有する場合には、その都道府県知事は事業所の所在各市町村えの分割を決定する。関係各市町村長は、当該知事を経由して内閣総理大臣に対し異議を申立てることができる。

三 右の一および二の範囲に属しない事業税の課税標準たる所得に関する決定は同じく知事の所管である。事業税の賦課を受けた者の行う異議の申立はすべて知事に対してなされる。但し、二以上の都道府県において活動している事業に関する場合は別であって、この場合は異議申立は、内閣総理大臣に対して行われる。
 事業税の法定課税標準は、国税たる所得税の規定する課税標準所得であるだけに、事業税の賦課は、前年度における国税たる所得税の申告を、税算出の基礎にとれば簡単なことのように思われるであろう。しかしこの方法はあらゆる場合において採られているとは限らないようである。

 例えば、

(一) 知事は、或る場合においては、都道府県の税務当局者、市町村および商工業の代表者その他を以て構成する都道府県事業所得審査委員会を任命している。この委員会が、「標準事業」即ち、各種事業別標準利益率を決定する。

(二) 知事は市、町および村についても同様の委員会を任命する。これらの委員会は、標準事業を基準にして、その地方の事業の課税所得を決定する。かくて決定された所得額は都道府県税務当局に報告され、しかる後当該税務当局は税を賦課する。このように納税者は自己の税を申告することはない。

(三) 疑の生じた場合、もしくは納税者が異議の申立を行った場合には、都道府県は所得税の書類と照し合わせてみるのである。

 われわれの調査した都道府県においてはすべて、その税務責任者たちの強調するところでは、申告された所得は、「少くとも実際より二十%方低い」ために国税たる所得税申告に頼るよりもこの方法の方がすぐれているとのことである。

 勧  告

 事業税は消費者に転嫁されないものとされているようである。事業税が純所得に課せられているという事実は、事業主は全税額を負担すべきものであるという趣旨を示すにほかならない。純所得税というものは非転嫁性のものと考えられるのが普通である。

 この建前は、純所得の上に、全税制の重荷が累積して余りに過酷とならない限り、受け容れられる。現在日本においては既にこの限界は突破されている。なかんずく個人事業についてはそうなのである。現在のところ、個人小商工業者は、(一)基礎控除および扶養控除を行った後の純益について国税を、(二)純所得を課税標準の一部とする都道府県民税ならびに市町村民税、および(三)事業税を納めている。中級所得者ですら、この三種の税のために合計七十%近くという限界率の納税を行っているのである。

 しかしのみならず、この事業税は、しばしば純所得をごく粗雑に概算する方法で賦課徴収されることも明らかである。

 都道府県が企業にある種の税を課することは正当である。というのは、事業および労働者がその地方に存在するために必要となって来る都道府県施策の経費支払を事業とその顧客が、援助することは当然だからである。たとえば、工場とその労働者がある地域で発展増加してくれば、公衆衛生費は当然増大して来るのである。

 従って、われわれは事業税の存続を勧告するものではあるが、それは次の二つの目的を達成するように改革すべきものであると考える。即ち、第一に、純益を課税標準として累積的に圧迫することを幾分緩和すること、第二に、賦課徴税方法を一層簡易化し、原則として国税の賦課徴収の結果に依存しないようにすること。の二つである。

 最善の解決方法は、単に利益だけでなく、利益と利子、賃貸料および給与支払額の合計に課税標準を拡張してこれに税率を適用することである。右の課税標準を別な方法で定義すると、それは全収入額から、資本設備、土地、建物等他の企業からの購入の金額を差引いたものがそれである。この差引額は、原料等、他の事業から購入したものの価値に、その企業が付加したところの額である。一例をあげると、一小工場主がある一年間に、五十万円の原料および燃料動力等と十万円の機械とを購入したとする。彼はその労働者に三十万円の賃金を支払いその援助によって、ある製品を生産しこれを百万円で売却したとする。彼の事業は、彼が他の事業から購入した機械原料等の六十万円に四十万円の価値を付加したのである。この四十万円を「付加価値」という。

この税のためには、「利益」は極く簡単に定義される。利益の計算には、何等減価償却などする必要はないのである。何となれば、機械、工場等の全価額はそれを購入した年次において既に差引いてしまってあるからである。また、棚卸資産勘定も不要である。それ故に、この税の計算は、現在の事業税が課税標準とすることとなっている純所得の計算よりもはるかに簡易である。

この付加価値税は純所得を課税標準としてはいないが、取引高税の歪められた傾向は持たない。というのは、付加価値税は企業の垂直的結合を促進させるようなことはない。この点は第十章A節においてふれたところであるが、これについては例を設けて説明できる。ある原料品生産者がその原料品を十万円で小製造業者に販売したとする。その製造業者はこの原料を加工して最終製品とし、これを小卸売業者に五十万円で販売した。卸売業者はその商品を小売業者に六十万円で売り、小売業者はこれを公衆に百万円で売った。取引高税だとすると、どういことになるだろう。取引高税は十万円、五十万円、六十万円および百万円の合計二百二十万円につぎつぎと賦課されてゆく。今これらの企業が一つの大企業と競争していたとする。その大企業は垂直的に結合されたものであり、自ら原料生産、加工、卸売および小売を一手に行っているとする。大企業はわづかに百万円に対する取引高税を納めるにすぎない。取引高税の下においては、このことは決定的な競争の優位である。しかし、付加価値税の下においては税は次の全額に対してかかるのである。即ち原料生産者は十万円、製造業者は四十万円(五十万円から十万円を差引く)。卸売業者は十万円(六十万円から五十万円を差引く)。小売業者は四十万円(百万円から六十万円を差引く)。これら課税標準額の総計は百万円である。また垂直的に結合した大企業は他の企業から買入れ商品は零であるから、同じく百万円に対する付加価値税を納めるのである。

純所得を課税標準とする事業税と比較して、付加価値税は、資本なかんずく労働節約的機械の形における資本の使用に対して不利な差別待遇をしないという、経済的利点をもっている。純所得課税は、かくの如くして、創出された価値には関係するが、直接労働によって創出された価値には関係しない。日本では現在工場および設備の近代化が急務の一つであるから、このことは重大な点である。

 最後に、事業収益に課せられる数種の税の合計が、現在の税法下におけるように過重となる場合には、収益税の一部分は、価格を引上げてこれを消費者に転化させることになり勝ちである。しかし、転化は、付加価値税の下におけるよりもより不平等であり恐らくはより不公平に行われることとなるであろう。

 われわれは、この付加価値を課税標準とした事業税はすべてこれを都道府県の所管とし、その金額を都道府県の収入とするように勧告する。われわれの勧告では、市町村は住民税および不動産税(地租および家屋税)の全額をその収入とすることになるのである。

 付加価値税の率は、この都道府県収入が年額四百四十億円になるように定めるべきである。農民は、その販売価格に広汎な政府統制が行われている事情に徴し、また地租および家屋税の大巾の引上げも負担することになるのであるから、免税されるべきである地租および家屋税の負担増加は商業者および製造業者についてもいえることでるが、この影響は、主要な事業資産が土地である農民にとってははるかに強いものとなるであろう。農民を除外すると都道府県の収入額四百四十億円を確保するためには平均的賦課率四%から六%前後となるであろう。しかし、この税率は、地方地方の情況に適合するように、各都道府県が妥当な賦課率を定め得る余地を広く残しておく必要がある。

 われわれは、この改正事業税についてその施行後二カ年間は、いかなる都道府県にも、八%を超えない率で課税する力を与えるように勧告する。二年後においてこの税の実施成果を再検討すべきである。都道府県に安んじて、最も適当と考える賦課率の決定を任せられるようになる、ということがわれわれの望みである。

 事業税は、照査する煩を敢てする価値のないほどの小規模の事業を除外すべきである。ただし、課税除外によって競争関係が破れる程大きくない規模であることを条件とする。

 ここで技術上の注意を一つ付け加えておく。稀ではあるがある企業が一カ年間に工場及び施設用に多額の金額を費すという場合、上に述べたように計算すると、当該年度の付加価値は赤字となることがあろう。この場合には、この赤字付加価値は、次年度以後にくり入れて、その年度の付加価値と相殺し、次年度以降の税を低減するようにすべきでものである。

 われわれは、日本における畜産業、漁業及び林産業の事業活動について十分な研究をしていないので、新事業税のもとにおけるそれらの立場について確たる意見を述べることができないが、畜産業者は農民と同様に取扱うのが妥当であり、一方漁夫は地租の影響を殆んど受けていないので事業税を納付する力があるように思われる。林産業は、事業税を課税し、且つ軽減税率を適用するのか、又は地租で他の特別の取扱をなすことが妥当であろう。

B 入場税 (Admissions Tax)

 入場税は戦後著しく増徴された。税率は、1945年4月1日に五十%から二百%に引き上げられ、1947年3月31日に百%に引き下げられ、そして1947年12月1日に百五十%に引き上げられた。

 1948年8月に入場税は国庫から地方に移譲せられ、税収の三分の一は都道府県、三分の二は市町村の収入となっている。1948-49会計年度においては入場税収益は百二十億円で、1949-50会計年度においても百四十億円の収入があるものと見積られている。これは一年間に税込み入場料に全額二百三十億円が消費せられることを示すものである。(煙草の消費額千五百八十億円と比較されたい)

 総じて日本は恐らく世界最高の入場税を課している。かような高率税には二つの重大な支障がある。それは消費者が金を払ってある物を入手せんとする意欲とその生産費との間に高い障壁を設けるが故に、消費者が一定の経費を払って求めるものを手に入れる能力を害するものである。一般的に言って、消費者は見せてもらっているものよりも遥かによい映画の観覧料を払っている。同じことは恐らく多くの演劇に関しても言えるであろう。第二の大きな支障は脱税である。第三の支障はプロデュウサアの利潤と俳優その他事業に携っている者の俸給を甚しく不当に損ずることである。これは映画界以外の劇場に当嵌ることであろうが、映画事業は少くとも財政的には好況にあるようにみえる。しかしながら、この第三の点は立入って論ずる必要はない。なぜならば、今日税率を十%に引下げ、そして将来劇場がもっと沢山建設せられて、競争が激しくなり、税率を大幅に引下げても、プロデュウサアの利潤と俳優の俸給を引上げるだけの結果に終らないようになった時に、それを更に引下げるよう勧告するのを正当づけるためには、はじめの二つで充分だからである。劇場入場料は最早統制せられていない。

 相当に脱税が行われている証拠がある。それに用いられている方法のうち若干は次のようなものである。劇場使用人はその俸給の一部を現金で、一部をパスおよび無料入場券で支給せられ、彼等はそれを無税で売却することを予期されている。かかる入場券が切符売場の真前で売られているとよく言われている。無料入場券およびパスの非常に多くが配当金代りに映画会社や劇場の株主に対して発行され、株主はこれらの入場券やパスをしばしば売却している。劇場の中には改札掛に切符を拾って切符売場に返却させ、再発売させているものものあると言われている。現在考えられている計画により地方庁が番号入りの入場券を印刷して劇場に使用させれば、脱税を防止できるであろう。しかしなお百五十%の税率は必ずや或る種の脱税をするために有効な誘因となるに違いない。

 税率が現在よりも低くければ、入場税は地方庁が巧く処理できる税である。しかし、町村のように小さな単位の地方には不公平な財源である。小さな町や村はそれから一文も得られず、住民が隣接の大きな町に行って映画をみて税金を払うから、間接的には損さえしている。それ故にわれわれは入場税全部を都道府県に移し、それを都道府県の税務吏員だけで管理するように勧告する。

 われわれは、「特別入場税」制度に入っている次の催物には全然入場税をかけるべきでないということを除いては、全入場料に百%の課税をすることを勧告する。すなわちその催物の純売上高全部が学校の収入となり、個人の利潤とならないならば、学生競技見物のために競技場へ入る入場料がこれである。もしも関係者が何等の報酬を受けず、純売上高全部が学校の収入となり、個人の利潤とならないならば、学校の主催する素人演劇、音楽会その他の催物への入場料もまた免税せらるべきである。
免税の濫用を防ぐために考えださねばならない安全装置(例えば慈善の定義における場合の如き)をわれわれは知らないから、慈善および宗教団体のために行われる催物に同様の免除を与えることをわれわれは特に勧告はしない。

 脱税を防止するために次の方策を採ることをわれわれは提案する。受付が切符を二つに切り、一方を入場客に渡すことにして、違反行為には罰金を課すのである。劇場主には政府から切符を買い求めるときに入場税を払わせることができるであろう。入場税支払済の切符だけが使用せられているか否かを確かめるために税務吏員がたびたび劇場を検べることもできるであろう。

C その他の地方税 (Other Minor Local Taxes)

一 不動産取得税

 土地建物を問わず、不動産の取得には二十%の税が課せられる。十五坪、即ち床面積五百四十平方呎[# フィート]以下の小家屋に対する税率は十%である。

 建築もしくは取得当初の条件が支配しなくまったときには、不動産に対する重い移転税は、不動産が経済的に最もよく利用される妨げとなるであろう。単にたびたび移転されるのを妨げるだけで、本税は国庫歳入のみならず、社会の経済的適応性の減少を惹き起こすのである。そうして建築に関しての非常に重い資本課税であるから、それは同額の税金を少額に分割して多年に亘り徴収するよりも建築を妨害するのである。

 われわれは地租、家屋税の大巾の引上げを勧告する(第十二章参照)。この種の租税は建築と移転に課税するよりも固定的な歳入を地方団体に与えるものである。

 これらすべての要因に鑑みて、われわれは不動産取得税の廃止を勧告する。本税は現在都道府県と市町村との間で折半されている。1949-50年度の全収入額は百二十億円と見積られている。

二 遊興飲食税

 本税の税率は二十%から百五十%の間種々あって、それは飲食またはそれに類似した饗応の種類によって異っており、都道府県と市町村との間に折半される。料理飲食店の再開が主な理由で1949-50年度には百二十億円に上ると予想されている。

 われわれは、本税を残して置くが、歳入は全部都道府県のものにするように勧告する。入場税と同様に、本税は市町村間の課税標準の量に相当開きがあるので、都道府県の使用に適したものである。

三 酒消費税

 本税は酒の小売りに対する五%の課税である。本税の収入は1949-50年度には四十億円に上るものと期待されていて、都道府県と市町村との間に折半される。

 酒と煙草は全体から見て国税として課税する方がより能率的である。それ故に、われわれは課税が国税として集中することを勧告する。これによって中央政府はその酒税収入を大巾に増加することができるであろう。(第九章B節参照)

 われわれは酒消費税を廃止するように勧告する。

四 存続を勧告する諸税

 われわれは地方団体が次の諸税をその歳入源として、税率を変えず、或は本質的な変更を加えないで、続けて課税することを許されるように勧告する。これらの諸税の本年度の収入額は百万円単位で、次の如く見積られている。

都道府県市町村
鉱区税
鉱産税
電気瓦斯税
自動車税
軌道税
電柱税
木材引取税
漁業権税
狩猟者税
入湯税
屠畜税
広告税
接客人税
使用人税
総計

 さらに、われわれは、相当な反対理由がないならば、右の諸税はいづれも都道府県と市町村の間で分けあうのではなくて(第二章参照)、専らそのいづれかの団体によって課税されるように(或るものは都道府県で、また或るものは市町村でというふうに)提案する。

五 減税または廃止を勧告する諸税

 われわれは、地方団体が、船舶税(都道府県に二億円、市町村に二億円)、電話税(都道府県に五億円、市町村に五億円)、舟取得税(市町村に三億円)、金庫税(市町村に一億円)の課税を継続することを許さないように勧告する。
上記課税の対象物はいづれも課税の対象として選ぶのに特に適しているとは思えない。

 われわれは、特別所得税を廃止し、同勢を課せられていた人および職業は改正事業税の諸規程の適用を受けるようにすることを勧告する。

 加うるに、われわれは自転車および荷車の取得税は廃止するように勧告する。これによって市町村は約五億円の財源を失う。しかし乍ら自転車および荷車の所有に対する毎年の課税は継続してもよかろう。これらの税は市町村に年約十億円を与える。

 われわれの計算によれば、法定外独立税は将来においては減少すべきことになっているが、われわれは、地方団体間の事情の相違によって特別な場合にはこれを必要とすることがあるかも知れないということを承認する。われわれはこのような税を認可する適当な規定を存置するように勧告する。

 われわれは、地租、家屋税、事業所税および特別所得税に対する税割として課税される特別の目的税はこれを廃止するように勧告する。

六 寄付金

 本使節団の団員が、視察旅行中訪ねたどこの市町村でも、相当多額の金が市町村が使用する目的をもって、所謂自発的寄付金という方法で集められている証拠に遭遇した。或程度迄はこういった資金調達方法は日本では伝統的なものであるが、今日行われている程度は伝統をはるかに超えたもののようである。

 新教育制度を実行するため校舎建築をする緊急な必要が多くの市町村をして、相当額の寄付金によってこの目的に使用する金を調達させる誘因になっている。この寄付金が得られている程度はまた経済安定計画の進行中に地方財政に必然的に課されている制約をも反映するものである。

 市町村吏員や納税者と話をしてわれわれが得た印象は、こういった寄付金は困難と不公平の源であるということ、およびわれわれが提案する如くに市町村がもっと適当な正規の財源を与えられるならば、そのようにして取られる額は減少することが期待されるであろうということであった。これらの寄付金は住民税とほぼ同じ基準で徴収されることもあるけれども、しばしば問題は中には主観的なものもある多くの要素に基いて地方民全部をほぼ正しく格付けすることである。かう云った財源から今年徴収される四百億円という見積り(第三章参照)は消息筋からわれわれが入手した推測を繰返えしたものに過ぎないが、われわれが視察旅行中に得たそれとは別の材料からもこの全額は不当なものとは思えない。その多くは市町村のものとなっているようである。また或る程度までは、校舎および警察庁舎の建築の如き寄付金に対する主な原因の中にあるものは、将来のおいては同じ程度で再び生ずるとは予想されない。

[# 第十三章終わり]