A 不規則所得に対する一般的救済 (General Relief for Irregular Incomes)

 一年を基準として課せられる累進所得税の下では、一年内に高額の所得をうけとると、その納税者は、高率な税階層に押し上げられることになる。この結果は、総額は同額であっても、これが数ヶ年により高低なく所得される者の場合に比して、不公平に過大な税負担となるであろう。同様にして、ただ一年間にだけ大損失を受けた者は、合計が同額でも数ヶ年に分れて損失を受けた者にくらべるとその税負担はしかるべく軽減されることができないのである。

 作家、作曲家その他の創造的労働者の類は、稼ぎの最盛期は比較的短く、一時的な所得であるのに、高額所得に適用される累進税率をかけられてしまっては、稼ぎの衰えるその後の期間に備えて十分の準備をすることができないと不平を唱えている。同等の経済力をもつ他の納税者の所得もより平均的に各年に分散していれば、より高率な段階の適用を受けることはない。漁業所得もまた同様であって、魚群の変化、嵐等に基く巨額の集中的な損失のために、年々大巾に変動しやすい。山林所得も、山林の科学的植付によってこの傾向を最少限にとどめることはできるが、僅かの年間に巨額の所得を生むものである。資産の売却による所得または損失もある一年にまとまって巨額なものとなることが少くない。事業所得も、急激な変革期と厳格な整備期をたっどっている経済情勢の下では、種々の理由によって、極度に変動し易いのである。

 日本のように、国民の大多数が属している所得額の限界を超えると、所得税が急激に累進するところでは、特に、右のような原因によって税負担の不公正な差別が生じやすいのである。

 このような場合には何等かの救済が必要となるのであるが、特定種類の所得を優遇して、不当な差別をすることのないように注意しなくてはならない。そうしないと、納税者が正当な税負担を免れるための抜け穴とする虞れがあるからである。この救済手続を簡単にすることも同様に重要なことではある。しかしこの救済は、比較的少数の場合に適用されるにすぎないから、大部分の所得税納税者に適用せねばならない規定とくらべて、より複雑であっても差支えないのである。

 従って、年々同じような割合で入ってこないような種類の所得に対しては、次の措置を勧告する。即ち、納税者に対して或る一年度におけるこの種の所得額を数年度に分割して繰越すことを許し、一方これに対して、納税者の手許に金銭があるときに徴税してしまうため、その後数年度に割当てた所得額に対する相当税額の納付を命ずるのである。繰越を認めるに適当な年数は情況によって変化する。漁業所得に対しては五カ年で十分である。譲渡所得および損失に対しては五年または十年が適当である。著作家の印税所得および山林所得に対しては二十年程度とすべきである。納税者は、法令の定める最高限よりは短い期間を自由に選択することができるものとする。

 たとえば、ある納税者がある年度に五十万円の譲渡所得を得たとしよう。その納税者は、この額の五分の一、つまり十万円をこの年度の課税標準に入れることになる。彼の譲渡所得以外の「普通」所得が年額二十万円とすると、その年度分の税額は、三十万に対して、正規の累進率で決定される。今これを仮に十二万円とする。この特別所得の残額五分の四、つまり四十万円に対しては、その年の所得額に対する平均税率と同率で算出した暫定納付税額を直ちに納付するものとする。
この場合平均税率は十二万円対三十万円で、換言すれば四十%であるから、暫定納付税額は四十万円の四十%、即ち十六万円となるのである。

 その後の四カ年においては、この特別所得の五分の一、即ち十万円と、各年度の他の所得を合算したものに累進税率を適用するのである。かくして算出された税額から、暫定納付税額の四分の一を税額控除として差引くのである。このようにして、その翌年度において普通所得が三十万円に上昇したとすると、税額は三十万円に十万円を加えた四十万円の所得額に対する累進税率によって計算されることになる。この税額を仮りに十七万円とする。この税額から暫定納付額十六万円の四分の一、即ち四万円の控除が認められ、譲渡所得の繰越がなかったとした場合の納付額十二万円のかわりに、差引十三万円が納税額となるのである。譲渡所得の繰越の結果として、三十万円の普通所得には、本来より若干高い累進率が適用されることになる。翌年度における所得が仮りに五万円に低下したとすると、この税額控除は、純納税額を五万円の所得に対して本来納めるべき額以下に減少する作用を営むことになる。即ち十五万円に対する税額を仮りに四万五千円とすると、四万円の税額控除は差引納税額を五千円としてしまうのであるが、この金額は本来五万円の所得に対する税額よりは少いのである。翌年度において所得が零となったときは、税金の払戻しが請求されるのを建前とする。

 この措置によって生ずる行政負担は、一見して考えられるほど大きなものとはなるまい。この制度は比較的少数の場合に、納税者の申請に基いてのみ適用されるのである。
納税者がこの特別措置を求め損ったとすると、普通の課税手続が行われるが、大抵の場合、重大な弊害が生ずることはないであろう。いかなる納税者も、かかる規定の存在によって、損害を蒙ることはないと信ずる。この制度は、極端な場合を救済する上に、しっかりした基礎を与えるであろう。この制度がなければ、かかる場合には税務当局としては部分的脱税を黙認し、法の適用の画一性を害うことになり易いのである。この制度によると計算はやや複雑性を増してくるが、稀にしか使用されないこの規定のために普通の書式を複雑化しないように、特別の書式を備えるのがよかろう。そうすれば、この特別書式もしくはその写しは、恐らく特別の綴りに保管されて、翌年度においてかかる納税者の精算の結果をたしかめるための照合手段に役立つであろう。こうすれば、この制度の濫用を防止することは比較的容易であると考えられる。納税者が翌年度の精算を怠ったとしても、脱税部分の額は大したものではない。

 しかし、かかる制度がひろく利用されるか否かにかかわらず、この制度の存在自体は、所得税の正否にとって一見考えられるよりもはるかに重要なものなのである。不規則な所得を斟酌するところのかかる規定なくしては、譲渡所得の全額を課税標準に安んじて含めることは不可能といえよう。譲渡所得を全額課税としなくては、全所得税の構造はいちじるしく弱体化するのである。それ故、この制度は、僅かな限られた場合にしか適用されない。些細な税額の修正方法にすぎないと見られ、かかる精緻なものを採り入れることは時期尚早のように思えても、これを即時法制化することは特に重要なことなのである。

 実際に、不規則な所得のかかる場合を処理するものとして、一見簡易な方法が考案されているようであるが、かかる近視眼的簡便法を採らないことには十分の理由があるのである。
経験の示すところでは、うわべだけの簡易を求める余り、しっかりした原則を無視して定めた制度は、ほとんどつねに、微細な差異を無視して不合理な差別を行うようになり、その結果、簡易さに期待したところのものを、かえって絶望的な混沌に陥らせてしまうのである。

 右に提案した方法のどの部分もそれぞれ重要な機能をもつものであって、不測な結果を来す危険を冒すことなくしてこれを無視することはできない。税額の一部分を即納させる手段を採ったのは理由のあることなのである。全税額を即時徴収することは必要不可欠であって、しからざる限り、納税者はこの多額の所得を消費してしまって、爾後には多額の税を納めることはできなくなるであろう。他方、非経常所得のあった年度の「普通」所得が増加したため、税額が不当に増大する結果となるような場合を来さないように、翌年度以降おいて大抵の場合比較的少額なものである修正を行う必要である。翌年度以降に修正の規定を設けないとすると、極端な場合には、適用される限界税率は百%を超える場合を生じ、納税者はより少く働いて実際に所得をより少くした方が税引手取額は大きくなるということになろう。翌年度以降に調整するという規定は、また救済に対する過度の要求を抑止するものである。何となれば、もしある年の所得の大部分が将来数年間に繰延べられるとすれば、税額の総額は増加するからである。従って、かかる調整は、税務行政を裨益すると同時に、生産努力への刺戟を保全するのに役立つ。これによって加わる複雑さは、以上の利点に徴すれば、不当に大きなものではない。

 所得を翌年度以降に繰越すことは、過去に繰戻すよりも必要なことである。それは、過去には適当な記録がないことにもよるが、また、過去の申告書に手を加えるよりも、将来の納税申告書を修正する方が容易であるからである。納税者が調整期終了以前に死亡した場合には、その後の修正は行われないことになるが、さしたる影響はあるまい。

B 損失 (Losses)

 ほぼ同様な問題は、ある者がある一年度にある重大な損失を受けた場合にも、起ってくる。彼が損失の生じた年度(または課税目的上損失の生じたとみなされる年度)においてその全損失を控除したとしても、この損失額を償うほどの所得をもたないとしよう。また、たとえ、損失を償う所得があったにしたところで、純所得額の計算において控除された場合の損失額は、他の所得と相殺して低額所得段階に引下げる結果、税額は軽減するのであるが、その損失額を数年度に繰越したとした場合にはおよばないのである。従って、この場合においてもなんらかの税額の調整を行うことが妥当である。

 しかしながら、この場合に対する適当な調整というのは、所得に対して上に述べたところと、正確に対照的である必要はない。当該年度の純所得額に基づいて計算した平均税率を、繰越損失額に対して適用することを認める制度は、税の払戻しを伴う傾きがある。これは原則上では誤ってはいないが、行政を複雑化させることになるのであって、避けるに若くはないのである。同様にして、殆んどすべての種類の損失は繰越期間を五年とすれば十分であろう。従って、大きな損失の場合には他の方式を採るように提案する。すなわち、その年度納税額は純所得額から全損失額を控除して算出する。しかし、納税義務額は全損失額の五分の一控除だけで算出されるものとし、実際の納税額に対して納税義務額が超過する額は延納を許し、その後四カ年内に納税者が清算するものとする。その四年内の毎年度には当該損失額の五分の一が繰越されて純所得額から控除される。税額はこの差引額に対して課せられ、かくて算出された税額に延納額の四分の一を加算して、それ以後の年度における納税額を得るのである。
この取扱は、損失額が非経常的性質のものであって、所得総額の、たとえば、四分の一以上に上る場合にのみ認められるのである。かかる損失の例をあげれば、嵐、火災もしくは他の天災、またはその他の非常現象によるもの等である。

 当該年度に対して実際に純損失が生じた場合には、この規定は、修正された五年の損失繰越制度の役割を果す。しかしながら、その損失が非経常的なものであると否とに関係なく、純損失繰越制度を設けて、実質的には全損失額と所得額との相殺を十分に認めるようにすべきである。従って、いやしくもある年度に純損失が生じたときには、(非経常損失を繰越した上で)つねにこの純損失額は翌年度の損失計算において控除分の取扱を受け、所得を相殺するに至るまで無期限に繰越されることになるのである。純事業損失の繰越は、第七章において詳細に論じた。しかしながら、控除不足額の繰越を認める規定を設けることは望ましくない。なんとなれば、純損失の場合はごく稀であるから税務当局は、将来の所得に対し繰越相殺すべき損失額を十分に照査できるのに対して、控除不足額を生ずる場合は頻繁であるから、この場合における申告所得額の照査は税務当局にとって過重な負担となるであろう。

 いずれにせよ、救済の適用される場合を規定するに当っては、不当な申請数のために税務行政の負担が過重となるような損失の定義をしないように注意すべきである。また、それは、不当に所得繰越申請を受理し、または却下する裁量の余地を地方の税務当局に残すようなあいまいなものであってはならない。
たとえば印税、芸術上の労作および同様の生命の短い職業による所得は、年額たとえば十五万円または二十万円を超える額に対してのみ繰越を許すべきである。譲渡所得、非経常損失ならびにその他まとまって生ずるような項目の繰越は、それが純所得のたとえば三十%を超える場合にのみ適用されるべきものであろう。または、繰越の取扱は、非年次的なものもすべて含めたとして、その年度所得額が、前年度の申告所得額を所得全体の増加によって調整した額より三十%以上多額であるか少額であるかの場合に限って、これを適用するのが妥当である。

 これらの要件を詳細にわたって規定することは、施行規則に委任するのがよかろう。要するに、現在のところ、納税者が「納税資力を著しく喪失している」と税務署が判断する場合、税務職員に税額の軽減を認めてはいるが、その権限はあいまいであるのに対し、われわれの勧告は、この点、税法上一段と明確さを加える結果となるのである。現在のような広汎な自由裁量を認めることは、概して、好ましからざる多数の争を惹起し、情実に流れ、不正行為すらをも生ずるような機会をつくるものであることに鑑み、できる限りこれを避けるべきである。一年を基準として課税することを杓子定規に固執するのとくらべれば、上に述べた取扱は、臨時的な、非経常的なまたはかたまった所得、僥倖所得もしくは損失の場合に対して、十分な救済手段となり、この問題に対して採用し易い解決方法となるであろう。実際、かような救済は、不規則性または非年次性を理由として、この種納税者に公平に認められるすべての場合に関するものである。著作家の印税等の特殊な所得を得る関係上当然必要な諸経費をしかるべく控除していないというような不平があらたに起ってくることは十分考えられるのであるが、この場合における適当な救済方法は、基本法令の改正よりもむしろ行政の合理化の問題なのである。

C 不規則所得の特殊な形態 — 山林所得 (Special Types of Irregular Income - Forestry)

 しかしながら、現行所得税では、他の若干の所得形態に対しては、公平の要求する限度をはるかにこえて、特別な取扱が許されている。譲渡所得、山林所得その他若干の所得形態は、現行法によると、その五十%のみが課税標準に参入されるにすぎない。山林所得におけるような、いくつかの場合においては、かかる特恵的措置は、重大な公益性を帯びる産業の間接的助成手段として、ある程度は是認できよう。しかし、この助成額は、所有者の所得額が増加するに従って増加することになるのであるから、これが、公共資金の一定額を犠牲とする代りに設けられた助成金であるということはむづかしかろう。実際上、何等かの形で直接的に、且つ公然と助成を行った方が、税を控除する場合よりも効果は大であり濫用されることが少くない。税の控除が、他の方法では容易に達せられないような奨励手段として心理的にすぐれたものであるにしても、山林所得の一定割合を税額から控除する規定を設けて控除ないしは特別措置を講じたところで、犠牲にされた税収の増す毎にそれだけよい結果を得るといえるだろうか。

 かかる助成方法が採用され、この約束の下に地主達が植林投資を行ったという事実は、かように暗黙のうちに約束されたこの特権を簡単には撤廃したり、毀損したりされるものでないことを要求している。日本政府の誠実さは或る程度まで約束済のものとなった考えることができよう。この税の特権が存続している間において築かれた合法的に認められる利益の程度は、恐らく不当に大きくはないであろうし、この約束は直接というよりはむしろ暗々のものにすぎなかったのであるから、他の側面を重視する以上この点を特に重視して考えるべきではなかろう。

D 譲渡所得 (Capital Gains)

 しかし、譲渡所得の場合には、着実な収益と配当を目的とする投資を犠牲にして、値上りを目的とする投機を促進せねばならないような特別の社会目的は何等存在しない。譲渡所得に対する現在の特恵的な取扱が認められる根拠は一つには米国における先例を固執する点にもあるが、一つにはそもそも譲渡所得は一般物価水準における強度のインフレーションの反映にすぎぬものであって、なんら実質的所得たるものではないという原則を認めることにもあり、また一つには譲渡所得の殆んどが高額段階の所得であるから、これに対して八十五%に達する税率を適用して課税することは税務行政上困難であるという点にもあるのである。しかしながら、この場合における米国の先例は悪例であって、これに追従すべきではない。譲渡所得に対して特権を認めることは、米国の所得税法中もっとも不備な部分であって、このことは、これらの規定が極めて頻々と改変されてきたという事実によって証明される。正規には本来配当、印税、事業収益、はなはだしくは給料として受取られるような所得が、変形して、譲渡所得を仮装する方法は少くないのである。譲渡所得が他の種類の所得よりも低い税率の適用を受けるとしたならば、多くの納税者は税を免れるためこのような変形を企てるであろう。かくては、税収入が失われるばかりでなく、この操作のために多くの時間と労力とが浪費され、事業関係は歪曲されて最も能率的な経済活動には役立たぬような形にされる場合が少くなかろう。

 譲渡所得とその他の所得の間には実質的にはなんら経済上の差異は存在しないのであるから、課税目的上、譲渡所得とその他の所得との間に線を引こうとするときは、往々にして独断的な、且つ不自然な差別を設ける結果となる。
他の所得を譲渡所得に変更することを禁止せんとして成功しなかったため、米国のこの法律は、更に幾多の紛糾を増し、譲渡所得の控除こそ、この法律中の他の何れの点よりこの法律における紛糾と争の基になることが多いといっても決して過言ではないのである。われわれは、日本が米国の轍をふまないように切に勧告するものである。

 従って、譲渡所得が若干の場合には1ヶ年に集中して生じるという理由から特別の取扱いをするのは差支えないが、所得の一形態としての譲渡所得自体に、それ以上の大きな特権を恒久的政策として認めることは右に述べた理由によって必要でない。ある年にかたまって生ずる所得一般に対して上にのべたような繰越の取扱を認めることは、譲渡所得の場合にも十分要求をみたしうるものと考える。したがって恒久的計画としては、この繰越の取扱こそ譲渡所得に認められるただ一つの特別措置たらしめるべきように勧告する。

 実際、インフレーションによるものを除いて譲渡所得金額を課税標準に算入することは、われわれの税制改正計画の礎石の一つであり、この原理に背馳すれば、この計画の統一性は著しく害われるのであることをいかに強調してもしすぎることはないのである。特に、もし個人の譲渡所得に全額課税することを規定しない税制をつくり、この制度の下で法人税に関する提案を実施しようとしても、法人税に関する提案は著しく変更されなくてはならないことになる。法人および個人事業双方に対する減価償却控除は再検討を要することになる。資産の修繕費、改善費も一層厳格に検討する必要が生じてくることになる。また、一筆者が「高額所得を笊で汲みつくそうとする馬鹿気た仕事」と称したことにならないように、全税率の構造を再検討する必要が生じてくる。最後に、譲渡所得を全額課税としないならば、損失の控除について多くの制限を設けなくてはならなくなる。
このような制限は、必然的に「表が出れば俺の勝ち、裏が出ればお前の負け」というような仕組みとならざるをえないから、納税者の危険な企業を敢行しようとする意欲を害うことははなはだしいものとなるであろう。

 要するに、税制改革計画の目的を十分に達成しようとするならば、譲渡所得の全額課税は、絶対に無視したり、いい加減にしたりすることを許されない一点なのである。

 増加する所得に対する厳格な課税理論に従えば、納税者の資産の市場価値の一年内の増加額は、毎年これを査定し課税すべきものとなる。しかし、これは困難であるので、実際においては、かかる所得は、納税者がその資産を売却して、所得を現金または他の流通資産形態に換価した場合に限って、課税すべきものとされている。この換価が適当な期間内に行われる限り、課税はただ時期を若干遅らせられたにすぎず基本原則は何等害されはしない。しかし、資産所得に対する課税を無制限に延期すれば、納税者は本来ならば課せられるべき税負担の相当部分を免れることができるから、無制限延期はこれを防止する必要がある。これを防止するもっとも重要な方法の一は、資産が贈与または相続によって処分された場合に、その増加を計算してこれを贈与者または被相続人の所得に算入せねばならないものとすることである。前述の不規則所得に対する方法にしたがって税額を算出すれば、その所得を不当に高額所得段階に押し上げることは防止されるであろう。したがって、相続の場合には、税額を将来調整することはないけれども、これは重大なことではない。この税額は、被相続人が納付すべき他の所得税と同様にこれを控除した上で相続税が算出されることはいうまでもない。

 一体譲渡所得に対する課税によって納税者は、資産の売却または投資の切換を延引する傾向があるが、贈与または死因移転の時に資産増加所得分に対し課税することになれば、この傾向は減退することになろう。贈与または死の際にこのように税を課さないとすると、納税者は、この税を無制限に延引して全額免れることもできるかと予想して、既に価値を増加した資産の売却を延引する傾きがある。租税は、何れにせよ早晩納めなければならないということがこの規定によって明かにされると、資産処分を厭う傾向は大いに減少し、かかる資産の市場が、この税に基く妨害を受けることは減少するであろう。

E 譲渡損失 (Capital Losses)

 譲渡所得の全額を課税所得に算入するならば、譲渡損失の控除を認めることは理論上当然である。現行法は譲渡損失の問題については何等規定していないようである。現在までのところ、一般的な物価騰貴と処理方法のために、この問題はほとんど仮定上のものにすぎなかった。たしかに、所得税法第九条第三項の明らかにしているところによると、損失の控除は譲渡所得と山林所得とからだけ認められ、普通の所得からは認められないように考えられるのであるが、普通所得から損失を控除することを特に禁止する規定はなく、また、所得税の解釈上、損失の半額を限って控除を認めることができるものとされている。

 インフレーションと関連する問題は別として、資産所得の方も相当期間内に課税され所得額に算入されることが確実であるということを条件とすれば、資産所得が課税されると同範囲内で資産損失の控除を認めることについては、さしたる異議も存しないのである。
現在の米国の法律においては、納税者の死亡時に資産は増加していてもその所得が換価されていないときは、全然課税されないのである。この理由も手伝って、米国では、損失の控除を無制限に認めるとどうしても大きな抜け穴ができることになる。控除を認めるとすると、納税者は値下りした資産を売却し、値上りした資産をそのまま持ち続けてこれを相続人に残すことができるのである。こなるとすると、彼等の駆引は全体としては利益を得ていても、値下り損失を他の所得から控除することができるのである。

 この理由もあって、米国の法律は資産損失の控除に対しては、むしろ厳重な、且つ恣意的な制限を加えているのである。かような制限は、時としては過酷な結果を生み、本来は同様の事情にある納税者間に不公正な差別をつけるばかりではなく、投資意欲を減退させることにもなる。特に危険性の高い企業に対する投資においてしかりである。例えば、百を投資することとする。この投資が百五十(純益五十)となって帰ってくる可能性と八十(純損失二十)になって帰ってくる可能性が等しいとすると、この投資はかなり危険なものであると考えられる。もし所得税率が四十%であって損失を全額控除するとすれば、一方の場合では税引き純帰属額は百三十(百五十から利益五十に対する四十%の税を差引く。)となり、他方の場合では八十八(四十%の税を課されている他の所得額から、損失分二十を控除することによって生じる税額の減少分八を八十にくわえる)となるから、この投資はなおかなり危険なものである。純利益を得たにしても、それは比較的少額であり純損失を生じても同じ割合で比較的少額なものにとどまるのである。しかし政府が納税者と「表が出れば俺の勝ち裏が出ればお前の負け」式の賭をやって、利益が出ればその一部をふんだくるが、損失の控除はみとめないとするならば、この投資は損失の場合は八十となって帰ってくるが、利益の時は百三十となって帰ってくるしかないのであって、ことに絶対確実に百十となって帰ってくるような投資と比較すれば、この投資はもはや魅力のないものになってしまうのである。このように、損失額の全額控除を認めないとなると、これが投資ならびに企業に与える影響は、けだし深刻なものとなる場合がある。

 しかし、現行所得税では、適当な期間内に資産所得が必ず課税されるということはできないのである。資産所得は、その資産が納税者またはその相続人によって売却されるまでは課税されないのである。この資産が数代にわたって保持されているならば、譲渡所得はほとんど無期限に延期されているのである。しかし、われわれは、贈与もしくは遺贈による移転の際に資産の増加額を所得に算入するように勧告しているのであるから、最終計算の延期に対してはいささか放漫のようではあるが合理的な制限を加えているわけである。したがって、われわれは、無制限にあらゆる譲渡損失の全額控除をも勧告するものである。このように譲渡所得および譲渡損失を完全に認めた場合にのみはじめて所得税は、理論上かくあるべき公平な不偏な、且つ非抑圧的な税となることができるのである。

F 譲渡所得に対する課税の逋脱および執行 (Evasion and Enforcement of Tax on Capital Gains)

 譲渡所得を完全に課税することは、他の種類の所得よりもはるかに困難であるから、脱税への刺戟を少くし、また脱税者と、これと同類の譲渡所得を得てはいるが税を納めている者との間の不公平がなるべく少くなるように税率を低くしておくべきであるということが主張されることはいうまでもない。この主張が、勤労控除の問題についてなされた議論と正反対であることを想起すれば、興味深いものがある。すなわち、勤労控除の場合には、勤労所得に対する税率を軽減し、申告納税者に対する名目的な税率を割高にして脱税と相殺するということが主張された。今この主張を譲渡所得に適用すると、譲渡所得は他の所得よりも重く課税される結果となるであろう。譲渡所得が他の種類の所得とは無関係な、別個独立の所得であるとすれば、必ずや、煙草税または酒税と同様、これにはある限界点があって、これを超えて税率を引き上げれば、脱税を増加し、納税倫理の破壊その他脱税増加の悪影響に相応して、増収額は減少し、ついには租税を是認しえないような程度にも立至る、ということを主張する者も出て来るに相違ない。
しかし、譲渡所得は多くの所得形態の一つであるにすぎない。かかる譲渡所得に対する税率を他の種類の所得に対して適用する税率以下に引下げれば、非合理的な脱税は減少するかもしれないが、抜目のない納税者が普通所得を譲渡所得の形に切り換える等合法的な所得税の回避が増加するという欠点を免れない。ある人々が平然と法に従って自己の正当な税負担額を回避していることが知れるのは、ある人々が非合法的に脱税していることが知れるよりも、はるかに納税倫理に対して有害である。

 更に、譲渡所得に対する所得税の税率の引き下げに伴う減収は、所得税のこの引き下げ部分の減収額よりもはるかに大きい。なるほど、実際に税率を引き下げると、譲渡所得から生じる税収は増加を示すこともあろうが、全体としては、なお大巾の減収となるであろう。何となれば、この増収の大部分は本来ならば配当または利益として申告され、所得税の税率がそのままで徴収された所得から生じたものであるからである。

 また、譲渡所得の税率が引き下げれば、実際に非合法的な脱税の額が減少するという保証はない。譲渡所得の税率が引き下げられた場合には、その税率の低さに誘われて自己の所得を(若干の手間と無駄を費やして)譲渡所得の形にするような個人は、いっそのこと、この所得の申告を怠ろうとする気になるかもしれない。
しかし第一の手段を採っても、利益がないとすれば、この手段は所得税を完全に脱税できる場合にしか価値がないから、これを考えると納税者はおそらくその所得を譲渡所得の形に切換える手数と無駄を費やすことを躊躇するかもしれない。

 したがって、所得税の税率一杯に課税することが現在では特に困難であるという理由だけで、譲渡所得に対する税率を特に引き下げる言訳にはならない。一本の鎖の強度はその最も弱い一環によって決定されるように、累進所得税の累進制はその最も大きな抜け道によってほとんど決定されるのである。一定税率の水準においては譲渡所得の非合法的な脱税が我慢できぬほどのものとすれば、これを正当に改善するには、全面的に満足すべき程度の施行を見るに至る点まで全税率の機構を引下げればよいのである。もし満足すべき施行の水準に達しえないならば、綜合累進所得税の全構想は、これを抛棄して、より不公平ではあるが、より実施し易い課税方法を採るべきではなかろうがという疑問が生じるのである。

 しかしこれは要するに、累進所得税を維持しようとするならば、譲渡所得に対する課税方法を大いに改革する必要があるということなのである。インフレーション期の経過と別のところで概略を述べた特別規定の採用とは、名目的インフレーション利益を大部分、課税の基礎から排除してしまう。かくて、純資産額は、納税者側も課税者側も快く納税できて、実際の所得または利益の合理的標準となりうる額に一層近付けられるであろう。しかし、この場合には、課税者側は更に一段の努力が必要とされる。殊に、あらゆる種類の資産の匿名所有に対しては、若干の制限を加えねばならない。
たとえば、株式の裏書はこれを一月以内というように限定し、これを過ぎたときは、新株主は株主名義に記載されなくてはならぬことにする。本報告の別なところで勧告した富裕税の新設は、譲渡所得に対する全額課税を確保するに与って力があるであろう。有効な手段を適当に使用すれば、譲渡所得に対する課税を完璧な段階にまで引き上げることができよう。

G 基準額の調整 (Adjustment of Basis)

 ある資産が処分された場合、譲渡所得は,受取った金額(贈与または遺贈の場合は、市場価格)からその資産のいわゆる基準額を控除して算出される。一般に、この基準額とは、納税者がその資産を取得するのに要した費用である。しかし、ある資産が事業に使用され、または所得を生み、またはその他収入、経費もしくは所得額の調整の原因となっていた場合には、この基準額を算出するには、その原価に若干の調整を加えなくてはならない。特に、所得として申告されなかった特定資産による収入額はすべてこれをその資産の原価から控除して基準額を算出し、損益を定めなければならない。同様にして、純所得の計算に当って、資産の所得または管理に必要なものとして控除されている金額でも、実際には支出されていない場合は、この基準額の算出に当っては、これを原価から控除せねばならない。

 反対に、所得の計算では控除されていないが実際には支出した額および所得から生じたものとして申告されてはいるが実際には現金を受取らなかった額は、この基準額に加算されるべきである。
従って、損害補填額、一部売却の収入金、減価償却額は、この基準額算出においては費用から控除されねばならない。通常の経費には計上されない特別修繕費、所得額には算入されているが実際には収入されなかった果実たる賃料は加算してよい。右に述べた原則が堅持された場合のみ、われわれは、所得の脱漏または二重計算が存在しないことを確信できるのである。右の原則が守られれば、いかなる所得も結局は所得税の適用を受けざるを得なくなる。但し、収入の申告を故意に怠り、虚構の支出を申告し、または実際は個人的消費を必要経費項目として控除するときはこの限りではない。しかしこの三種の違反は比較的容易に発見調査されるから、これらの点の違反に該当する事実を知悉することは比較的未経験な税務官吏にとっても容易なことであろう。

 資料が不十分であることや、税務行政の施行が貧弱であることを口実にして、このような正確な原則を初めから打ち樹てることを怠っては、日本が近代的な、科学的、且つ公平な税制を有することを期待し得る日は無制限に遅れてしまうであろう。

H インフレーション所得 (Inflation Gains)

 しかし、最近実現される譲渡所得の大部分は、納税者の購買力の純増加というよりは寧ろ価額の名目的騰貴にすぎず、この事実をどの程度まで認めるかという問題はなお残っているのである。価額の名目的騰貴が経過年数と比して大したものではない場合(例えば年に十%以下)または税率が低い場合に、この要素を斟酌することは不適当であろう。もし、譲渡所得に対する課税が画一的に適用されているとすれば、この結果は所得税に加えて、軽度な資産課徴を行うのと大差ないことになる。
かゝる課税が税率としては軽度のものであり、画一的に適用されている限り、不公平は存在せず、生産的投資に対する刺戟および報償を不当に害うことにはならない。このような状況において、譲渡所得に対して何等かの特典をみとめることは、生命保険、預貯金および公、社債の保有者に対しても、これらの資産の購買力の減少を斟酌する同様の特典を与えぬ限り、実際上、明らかに不公平である。そして、かゝる斟酌を行うことは、税務行政を絶望的混乱に陥いれるであろう。しかし、インフレーションが数カ年にわたり毎年五十%以上も進行する場合には、名目的な譲渡所得を所得としてそのまゝ課税するような資産課税は余りにも苛酷であって看過することはできない。更に悪いことには、譲渡所得の発生と課税とは時を異にするから、税金は、非常に購買力の異った通貨で支払はれることになり、人を異にするに従って租税の適用には甚しい不公平が生ずるであろう。最後に、最近数ヶ年の税務行政、従ってまた利用できる資料は過去の譲渡所得を完全に公平に取扱うには到底不可能と考えられる程度のものである。

 従って、できうる限り、1949年中の或時期までの、一般的物価騰貴を表わすに過ぎないような所得は、これを所得税の課税標準に算入される譲渡所得から、排除することが妥当であると考える。つまり、納税者の実際の購買力の現実の増加となった所得の部分だけを算入するということなのである。ある場合には更に一歩進めて、1948年以前に生じた実際の損益はすべてこれを論じないことにする方が適当かも知れない。その理由は次の通りである。1949年度以前には資産の基準額に対する調整が課税所得に反映されていることが殆んど稀であり、これがため、今かかる損益を計算してみたところで、所得税の公平が改善される度合は、これがために生ずる税務行政の困難と、到底つり合うものではないからである。

 この目的のためには、資産を数個の型に区分するのが適当である。即ち(a)減価償却のできる事業用資産、これに関しては大抵の場合、減価償却費、維持費、修繕費等納税者によって申告されるその年の所得にあらわされてよい多くの項目が殆どの場合にある。(b)棚卸資産、これは頻々と回転するため、帳簿上既に時価と相当接近した額で記載されている。(c)事業用土地、(d)事業用構築物以外の建物、建物の一部が事業用であるか住宅用であるの区別が困難となり易いような取扱をせぬようにしなくてはなるまい。(e)農地、これには売却の制限に関する特殊な問題がある。(f)山林、これは山崩れおよび水害防止の見地から特殊の公共的利益が問題となる。(g)その他の土地、これは、広汎な統制を受け、概して、一般生活費のような価格騰貴は起らなかった。(h)その他の資産、無体財産、個人所持品、家具、財宝等のごときもの。

 これらの資産は、減価償却のできる事業用資産を除いては、概ね、給費および減価償却が認められることによって原価が調整されるようなことは稀であり、調整されたにしても通常はその年の所得の計算には計上されない減価償却のできる事業用資産については、多くの場合、譲渡所得の計算に用いられる基準額を算出するため、原価について正確にどれだけの調整を加えるべきであるかを決定することは、手許資料では比較的に困難であろう。しかし、この場合においては、問題はより一層現下の事情に即した減価償却を認める基礎をつくるための企業資産再評価の問題と密接な関係がある。
再評価手続の結果として、実際上、1949年中の指定時現在で一定価額が定められ、これが帳簿価格および減価償却の基礎として用いれることになる。このような価額は、帳簿課価額を一般物価指数によって調整することによっても得られるが、またこれを行うために資料が不十分であれば、これに比較する結果を得るために標準率を適用することによっても得られる。かくすれば、資産が売却または清算されたような場合、この再評価額を譲渡所得または損失の算定の基準額に用いれば、これまさに当を得たところである。このことは、実際上適当な帳簿が記帳されている場合には、1949年以前に生じた資産の実損益は、概ね課税所得に算入されるが、標準率を使用する場合には、概ね無視されてしまうか、または大まかの平均というところで算入される、ということなのである。しかし後者の場合、このような所得または損失に対して多少なりとも公平に課税するのは、いずれにしても困難であるから、この場合には過去は過去として不問にせざるを得ないであろう。

 減価償却ができない資産については、問題はやや異っている。これには、減価償却の問題を生じる余地がないから、所得税の目的で即時に、価額を決定せねばならない理由は存しない。実際上、かかる価額の決定という問題は資産が現実に売却されない限り、緊急なものとはなるまい。しかし、ある資産が今後数年後に売却された時には、譲渡所得に対する課税の目的上、この資産の1949年現在の価額を遡って決定しなくてはならないとすると、その結果は少なからずあやふやのものとなろう。安定した経済状況の下でさへ、事後長期間を経て価額を決定することは困難である。日本は現在まさにインフレーションと経済混乱の時期から脱しつつあるのであるから、遡って1949年現在の合理的市場価格を定めることは、多くの困難と紛争とを惹起せしめることになるかも知れない。

 考慮せられねばならないもう一つの要素は、企業経理を合理的基礎に立たせようとするならば、あらゆる資産、少くとも稼動資産に対しては、合理的な時価による帳簿価額制をとることが望ましいということである。従って、その全部とはいわないが、大部分の企業資産について時価を速かに決定することが望ましい。また土地および建物で、一部を事業に、一部を住宅に使用しているものが少くないから、その価格を二つの用途に割振る必要のないようにすることも望ましい。純住宅用不動産と一部を事業目的に供する不動産との間の差別を避けるべきこともまた同様である。

この場合においても地租および家屋税の課税上何れにせよある価額を決定せねばならない。ただし、両者を同一の価額とする必要はない。従って、減価償却ができる事業用資産のみならず、非農業用不動産および右以外の法人の稼動資産に対してはすべて、直ちに1949年現在の価額を決定することが望ましい。とすればこの価額は右以外に譲渡所得または損失の計算の目的にも使用されることになろう。

 他の資産について、再評価された基準価額を実際に決定することは、売却時まで、またはできれば税務行政に対するその他の要求が、多くの重大な改革が行われつつある現在におけるよりも下火となる時までこれを延期して差支えない。減価償却ができない資産については、相当な減価償却費、改造費その他その年の所得に影響するような基準額の調整を生じるような場合は一般的に乏しいのである。従って譲渡所得と実際の原価との関係から生ずる困難は、減価償却ができる資産の場合に比してはるかに小さいのである。
更にまた、個人所有の資産であって1946年以来所有者を変更したことのないもののうちかなりの部分については、財産税の課税価格という更に一つの基準があるのである。従って、この資産については、1949年以前に生じた実損益をより完全且つ明確に認定することができよう。

 従って、土地および減価償却できる事業用資産以外の個人資産については、左の通り示唆する。すなわち、譲渡所得計算のための基準額は、財産税のための評価額に、財産税の評価時から1949年の適当な期日に至るまでの生計費の増加率、換言すれば約一〇・七六倍を乗じて算出した額とするのである。かくすれば、財産税のための過小評価は、譲渡所得のための基準額を低めることによって不利な結果を来し、逆に過大評価は有利となるという長所をもつことになる。実際、もし複雑さの加わる労を厭わぬならば、過去の不公平を埋合せる更に別な一法として、次の要素を採用する余地がある。即ち財産税の不当な延滞納は、(これより下落した円で納付することを意味する)譲渡所得額を増加させる作用をも営むのであるから、評価時以後の増加率よりも、財産税が現実に納付された時以後の増加率を用いることである。もちろんこれは概ね、全財産に対する課税総額についてのみ当てはまることであって、この場合には資産の種類に応じて課税総額を適当に配分する必要が生じる。ある資産に対する配分が過大であれば他の資産に配分される額は減少し、したがって他の資産が売却された場合には所得額が増大することは、税収に対するある程度の保護を加えるということになる。

 また、多くの者は、十万円の特別控除という理由で財産税を免除されており、更に他の者は申告書を提出しなかった。このような場合においては、財産税の時または1949年に至る間の何時かの時の価額について、立証を行う責任は納税者にある。しかし、いずれにせよ、かような納税者は、1946年3月3日以前に所有していた全資産の基礎として総計百七万六千円(これは財産税当時の十万円に対する現在の等価額である)以上であると主張することは許されないであろう。

 財産税課税時から1949年までの間に取得した資産については、取得価額に、取得時期から1949年のある期日に至る生計費の増加率を乗ずれば算出できる。実際上、かかる資産については、譲渡所得は、取得時期以後その資産の実質購買力の増加があった限度で課税されることになろう。

 しかし土地は別個の問題となる。土地には、地代、その使用および譲渡に対して特殊な制限があったことにも起因して、一般に他の資産のようには価格騰貴がなかった。土地にはまた地租および家屋税が課される。そこで、この税の基礎を資産価額に置くように提案する。混乱を避けると同時に、地租家屋税の目的上妥当な価額の決定を促進するために、譲渡所得の算出基準額を地租家屋税の目的上定められる価額に一致させることが望ましい。後者のそれは、当然市場価額、もしくは将来の収益の割引額を基礎とする価額の何れにも近似していなくてはならない。従って、土地については、地租、家屋税の課税のために行われる最初の再評価額を譲渡所得のための基準額とするように示唆する。
 更に農地については、この価額を最終的に決定せねばならない期限は、一ヶ年とするように示唆する。

 山林にはなおもう一つの問題がある。即ち、山林の価額の大半は、植林費、その他過去長期間に亘る管理保護費を投下したことに基くものであるからである。この場合は、事業における経費の場合と区別するのが適当である。事業の経費は、生産物に具現して比較的短期間内に売却されるからである。従って、山林については、これが法人の所有であるときは、植林費その他山林の管理保護費は他と同様一般物価指数によってこれを再評価し、地価に加算して、譲渡所得算出のための基礎額とするのである。山林が個人所有である場合には、譲渡所得を計算するための価額を決定するに当って財産税の評価額またはその後の取得価額に植林および管理保護費を加算した総額を、一般物価指数で調整してもよい。こうすれば、山林所有者には、その樹木売却代金に対する税額を納付してもなおその土地にふたゝび植林するにたるだけの額が残ることは、特に保障されるのである。

I インフレーション損失 (Inflation Losses)

 譲渡損失については譲渡所得よりもやや厳重に取扱う必要があろう。インフレーションの期間中、いくらかでも公社債を有し、生命保険をかけ、貸金を有し、または銀行に預貯金をした者は、ほとんどすべて、その資産の実質的購買力に重大な損失をうけたのである。このことは、より低い程度ではあるが、土地についても言えるのである。
建前としては、この損失を控除額として認めるのが正しいが、われわれが、一方では名目的譲渡所得を不問に付している以上、この控除を認めることは全然実情に副わない。かような控除を認めてしまえば、殆んどすべての納税者は、これに基いて相当額の損失控除を主張できることになり、税務行政の負担は全く収拾し得ないものとなるであろう。また、納税者が実際に、控除を主張する程度の如何によって、控除の程度が異るためいろいろの不公平も生じるであろう。かかることを認めることは、現段階においては、到底賄い得ない税収の減少を来たすことになるのである。

 従って、減価償却ができない資産に生じた譲渡損失を算定するために納税者に使用を認める基準額は、1949年の指定基準時現在の市場価額だけに限るものとする。この価額は、納税者がこれを定めて税務当局の承認を経たものである。但し、この価額の方が、財産税の評価額(または財産税以後に取得したものについてはその取得価額)に、生計費の指数の増加率を乗じて得た価額よりも大きい場合には、指数で計算した価額の方を採らなくてはならない。しかしながら、財産税の評価額または取得価額が、騰貴しないで、1949年の価額よりも大である場合には、財産税の評価額または取得価額による。この結果として、ある資産が処分された場合、控除を認められる損失は次の通りである。即ち(a)1949年以後に生じた損失、または(b)財産税以後、または資産取得以後に生じた実損失のうち、いずれかこれが少額なものによる。しかし、金銭上の純損失は、それが1949年以後に生じたものでなくても控除される。

 その再評価額が決定された減価償却ができる資産の場合には、純損失は、その後の減価償却その他の類似項目によって調整した再評価額の基準によって認められることになる。

 もちろんこの取扱自体は過去数年間にどの程度譲渡所得を実現したかに従い、人によって不公平を生じるであろう。その資産を売却して名目的所得の申告をした者は、一方では換価を延期していた者が同期間中納税することなく、今後インフレーション期の名目利益に対する課税を全く免除されてしまうのに比して、余分な税金を納付したことになる。しかし、この期間中は譲渡所得に対する課税は殆んど行われておらず、その上、完全に課税してみたところでその税率は特に低かったのである。従って、この不公平は、一見したほど甚だしいものではないのである。

 この不公平および預貯金その他類似の資産に生じた実質的損失を全然認めていないということは或程度埋合せるものとしては、再評価差額に六%の課税を行うことが提案されている。この税は、農業用資産以外の減価償却できる事業用資産については、三%、一・五%、一・五%と三年間に分割納付されるものとする。その他のすべての資産に対しては、譲渡所得に対する所得税とともに、その資産が売却された時に納付すべきものとする。かくて譲渡所得は、六%課税の名目所得と、納税者の所得の一部をとして課税される実質的所得の二つの部分に分たれる結果となる。しかし、ある資産が、所定の再評価額以下で売却され、これによる損失が前記三項および二項目の規定に基いて控除を認められない場合には、現に実質も伴わず損失相殺も認められない再評価差額に対し課税する結果とならないように、再評価差額に対する課税額は、控除を認められぬ損失の六%だけ軽減するのが当を得ている。

 名目的なインフレーション所得の提示する問題をこのように取扱うことは、それが可及的簡単なものではない点、ならびにある程度の恣意的不公平を是正せぬままにしておく点で、必ずしも満足できるものではない。しかし、実際上、この程度の不公平は他に考えられるような取扱の結果よりは、余程軽少なものであると考える。インフレーションそのものが惹起する不公平と比べれば、かかる不公平は尚更些細なものであり、従って真の責任は決して税制にはなくて、インフレーションの結果にあり、税制はこの中で機能するに過ぎない。不公平と錯雑がいつか過去のものとなり、この原因たる激しいインフレーションが再開することのないよう希望しておく。

J 将来の価格変動 (Future Price Fluctuations)

 しかし現在の激しいインフレーションに対しては、このようなゆとりのある方法で、適当に斟酌が行われているから、将来の物価水準の変動に対しては、それが少くとも年十五%を超えない限り、特別な考慮を払うことのないように勧告する。適当な金融政策および予算の調整によって、将来の物価変動をこの範囲内に維持することを希望する。税制に織り込まれた弾力性をある程度増大するということを考慮すれば、軽度のインフレーション所得またはデフレーション損失を所得税の課税所得に算入することは、結局のところ好都合なものであると信ずる。かくすると、物価が上昇しはじめれば、インフレーション所得から生ずる増収はある程度物価騰貴を抑えようとし、物価が下落しはじめれば、損失の控除の結果として生ずる減収が同様に下落を抑えようとするであろう。一般物価水準の変動を絶えず調整しようとすることは、所得税の反景気変動的影響を相当程度減殺することになろう。
軽度の物価騰貴を無視することに含まれた軽度の富裕税、軽度の物価下落を無視することに含まれた軽度の資産助成の経済に及ぼす些細な悪影響は、右の調整を行うことによって生ずる税務行政上の諸困難と比較すればほとんど問題とならない。現在のインフレーションが次第に消え去るにつれて、これに関連する税制における複雑性を漸減すべきであろう。

[# 付録Bおわり]